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水の月。思うこと。

中学生の時に初めてモネの絵を見てから、モネのような絵を描くためにはどうしたらいいのかずっと考えていました。

それは、モネと同じ景色を見ることではありません。モネと同じ道具を使い、モネと同じ技法を学ぶことでもありません。私が求める「どうしたらいいのか」という問いは、「どうしたらこんなにも心を動かす作品を描けるのか」ということでした。

そして、本を読んだり探っていく中で気づいたことがあります。

モネの生きた人生の中には、言葉では言い表せない想像を絶する思いがたくさん詰まっていること。

絵を認めてもらえない苦悩、自殺を考えるほどの貧困、病気や愛する人の死・・・その中でモネが描いた風景は光に溢れています。きっと、家族や友人と支えあいながら、悩みと向き合いながら描き、目にうつる光の中に希望を見出していったのではないでしょうか。

最近、もう一度、何のために描くのかという原点に返って一人でずいぶん悩みました。

そうして出た答えがあります。

私も、いろんな悩みのある人生を、モネのように逃げずに一つずつ受け止めながら、ひたむきに描いていこう。今いる場所で、見える景色、美しい光を描き続けることで、誰かの心に届く絵を描けるかもしれない。

そう考えるようになりました。

私にはモネの風景画に似てると思う場所がたくさんあります。(妹は笑うので、あくまで個人的に。笑)

『エトルタの絶壁』は芥屋の大門、『ひなげし』の風景は高祖の畑に咲く彼岸花にも見えます。『印象日の出』は加布里漁港の夕陽に重なります。都市から自然あふれる田舎でレジャーを楽しむようになった19世紀の出来事が、ここ最近の糸島の様子に重なって見えるのでした。

もちろん、糸島だけではありません。睡蓮や柳のある水辺の風景は福岡の大濠公園、モネはオランダに行き色鮮やかな花畑と風景を描いていますが、長崎のハウステンボスはとても美しかったです。イギリスの霧の風景は、鹿児島の冬の朝に感じました。また、どこまでもつづく山々や田園風景は佐賀や大分、熊本を思わせます。九州は美しい自然に溢れています。その美しい自然が心に与える力をもっと信じて描いてみようと思います。

そして、私が大事にしたいのは・・人。私の心にいつも寄り添ってくれる大切な人たち、それから絵を楽しみにしてくれる人や応援してくれる人たちがいます。きっと、いつも優しくしてくれる人は、それぞれに悩みがあったり、つらいことを乗り越えて、優しいのだと思います。そうした人のつながりや営みを知るほど、私はもっと優しく強くなれるし、見る景色はもっと輝いて見えるような気がします。

新しい作品を描く前に、この気持ちを忘れないように文章にしました。次の個展は秋を予定しています。

美しい光の景色が描けるように、頑張りますq(^_^)q

水無月の由来には諸説あるが、水無月の「無」は「の」という意味の連体助詞「な」であり「水の月」であるとする説が有力である。田植が終わって田んぼに水を張る必要のある月「水張月(みづはりづき)」「水月(みなづき)」であるとする説もある。他に、田植という大仕事を仕終えた月「皆仕尽(みなしつき)」であるとする説、などもある。(Wikipediaより)

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